

フィリピン中流階級の人々はこうした事をしっかりと考えてきました。 そして我慢してきました。
故に今の加工産業に頼らずに生きられる経済状況を作ってきたのです。
世界75位にランクされるこの国に、昔とは違いモノが溢れる時代が来たのです。
という事は世界は既にモノで溢れています。それは加工製造業の頭打ちという状況を示しています。
ただ製造すると言う事で物が儲かる時代は終わったのです。
では何が次の世の中をリードするのか?? それはモノを根源で見る目が大切です。
フィリピン人は本当に世界中に生活の拠点を持っている。 彼らの世界観とフィリピン人としての
生き方のバランスの取り方は絶妙なものがある。
例のワールドトレードセンタービル事件の時も200名以上のフィリピン人が居た。ロンドンの地下
鉄爆破事件の際の第一死亡者もフィリピン人。イスラエルのバス爆破事件の際も2名のフィリピン
人が負傷をおっている。
勿論 世界に広がるためには多少のリスクはあるが、しかし人生そのものがリスクなのだから
その中で生き抜くためにはリスクは当然である。
しかし、今の日本社会にはこうした世界の常識的な考え方が通用しない。
運動会でも棒倒しや騎馬戦は無くなり、サラリーマンや役人の世界でも自分の責任を取る事を
やたら嫌がる。 結局、全てがやるやら無いでは無く、怪我無くやるという妥協点で物事が始まる
ので、全てが妥協の産物となる。 故に今の日本があるといって言い。
しかし、歴史は廻るで、もし65年前の日本のような状況に近づくとしたら、我々の孫はどう生き
るのか? 世界に出るには 言葉や経験が必要です。 でもそうした経験や体験、言葉は日本
で得られるのか? 我々はそうした事も考えなくてはなりません。
我々だけが日本の一番いい時を駆け上り、後の事は知らないというのなら、我々の犯した間違
いをどの時代で修正するのでしょうか?
