1986年
当社は 学校法人を設立 独自の介護実習を開始した。

目的は良質な介護と今後の日本の行方という大きな課題でした。
設立した 棟朝 淳州(むねとも あつくに)は当時漸く騒がれ始めた介護という
言葉の先端を行く シルバーマーク振興会やその他で多くの発言をして来ました。

当時から在宅における介護の無意味さ等を語ってきましたが、結論として 8名を
1名の介護人が効率よく見られる ケア 8 (エイト)という 写真下の構想を展開
湯河原にその実験施設の建設を始めるに至った。

今になって考えてみれば、現在のグループホーム(9室)の基本だったのかも知れ
ない。 しかし、 その計画を断念。 工事半ばで方向を変えて海外への方向を模索
し始めた。 その理由は限りなく拡大する経費を10年先にどうするのか?
特に退職金を含めた人件費という問題の解決策が無かったからだ。

それは、介護保険というものがある現在
も原理としては同じであり、今でも日本の
介護に懐疑的な理由はこの時のあらゆる
試算の結果でり、単なる憶測では無い。


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2000年には日本人専用という看板を下ろした。理由はフィリピンにおいて、
日本人の感性のみを重視すれば、自ずからコストを上げることになる。
全てはフィリピンマニラにおける常識を機軸にして、世界に適応する価格と
サービスを目的とした。  それに日本の高齢化は20年後には解決する。
それ以降は自ずからフィリピン自身を含めその他の国を対象にする事になる。

      その後のフィリピン退職庁を含めた戦略はここをクリック


介護の効率化・住居の効率化
理由は1986年以来のコスト最優先主義
  当社の総合入居者が1,000名に 達するまではマニラ市とサウススパーハイウエー 上の地点以外に提携・及び施設を作らない。
そして非健常者用施設は住人が多い地域で展開し、 決して人里離れた地区での運営はしない。 また健常者用施設も交通手段や買い物便利な地区 以外は決して考えない。
そして、結論として当社が学んだ事は・・

マタブンカイで
ロングステイ財団
の山内専務理事
(当時)

その間に地元住人との融和と施設充実に力を注ぎました。
タイを発祥としたアジアクライシス・ワールドトレードセンタービル          苦悩の時代の到来です。

特養で実習している当社フィリピン人社員

当社の介護研修は日本の特養で行っていた。

この時点で現在の生涯入居金の
原点が出来上がった。

1998年には プリンスハウス の建設も始まった。
多くの民放も特集を組んでくれた
最初に入居されたお客様。まだ今の玄関が居間兼食堂
1997年3月3日号のアエラに紹介された。
その後 オーストラリア 中国・アジア諸国 に長期滞在して研究

その後の状況

各紙新聞のトップ記事に
しかし、それから2年 の経験から学んだ事 は多かった。
PRAレビステ長官と ロングステイ財団の 元・山内専務理事
2002年

フィリピンもエラップ大統領
更迭の後アロヨ大統領下
で初めてのPRA長官が
ロングステイ財団との提携
を決めて、ロングステイ財
団の山内専務の肝いりも
あり、当社もスービックや
タガイタイ・バタンガスに
支店・提携箇所を拡大した。

日本の法務・通産・入管はそれを歓迎していた。しかし1998年 看護協会・医師会の反対でビザがおりなくなり座礁・・
そのころには 4名のお客様が・・
NHKの1時間特集  終いのつみかを求めて が2007年9月15日 に放映されて・・・

1993年、介護施設運営を目指すにしても、マニラにおける仕事の経験
を積む必要がある。 入居者が入り商売に失敗したのでは仕方が無い。
特に日本人専用という観点から、日本レストランの運営からスタートした。

             どの程度フィリピン人が日本文化を理解出来るかと
             懐石料理店からスタートしたが、その後マンダリン・
             オリエンタルホテルや他の日系工場の社員食堂や
             ケータリング等も幅広く手がけるようになり、経緯上
                            縫製工場やその他にも
                            進出したが、2003年の
                            リトル東京内の甘味店を
                            最後に全面撤収した。
                            理由は競争相手が増えた
                            上にペソが下がり仕入れが
                            増大したからです。

1994年、本格的に介護施設建設に乗り出したが、最初はオルチィガスにあるビル用地
を購入18階建てのビル構想(図)を打ち出したが、当時バブルでビル用地が高騰して、
当初予算以上の販売価格になったので断念して、用地を売約した。
しかし、この当時から都市型高層ビル構想はあった。
その後、現在のカブヤオの土地(当時は荒野)を購入
ローズプリンセスホームを建て始めた。
しかし、最初に建てた建物は見事に失敗。取り壊した。

介護の効率を上げる努力

2007年12月20日のクリスマスパーテイー風景

2007年11月22日 近藤 元労働大臣様 ご一行様のローズ訪問

1990年NHKのドキュメンタリー番組 プライム11で フィリピンで退職生活
特に介護をフィリピン人にお願いしている日本人を特集。  父も叔母もその
番組に出演した。    すでにこの時期にはこうした考え方が世間で話題に
成ってきていた。

その年にマニラに居を構えて、まずは痴呆で困っていた叔母を連れて来て住居内での介護を始めた。
翌年には、脳梗塞でリハビリ中の父を迎え入れていた。

1988年にマニラに足を踏み入れた。

介護の効率を上げると言う為にはある意味でのコンピ
ュータ化が必要である。 その研究成果が既に日本
での介護を断念していた1990年に完成した。 それ
以後この研究成果を活用はしているが、実際に日の目
を見なかったソフトです。
               しかし、最近多くのソフトが出
               されているが、どのソフトも
               介護保険の請求に力が注が
               れていて、介護の効率化には
               成らないのが残念です。