マカテイ・リトル東京とは
何故この地だったのか      その変遷を見る。

2000年にオープンした。 センター右はこのリトル東京を企画した木戸氏 中央はこの地バランガイ長、そしてその左横は 島田氏、後ろ右はオーナーのタン氏、そして棟朝。

将来のリトル東京を考える。
地図@から撮影、右写真はの角は新宿ラーメン
テナントが飼いだした猫が 今や従業員も餌をやるので  猫屋敷・・・?!
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時代はさかのぼり、まだ戦争の記憶が消えないころ、日本人が何か物件を借りようと
した時には大分厳しいものがあった。またその後のマルコス崩壊後は好景気時代で
不動産が高騰して、家賃も契約が切れると 倍になるという時代が続いた。
勿論今は違うがそうした中で、この地域はそうした日本人には優しかった。

というのは、この地域はフィリピン人で物件を借りる人は居なかったのです。 何故?
地図でも判るように、 マカテイ市の外れを流れるクリークが大雨になるとあふれて
何時でも水浸しに成るからです。 東京の目黒川沿いのような地域でした。
こうした事から家賃は安定し、そんな所を借りてくれる日本人には優しかったのです。

今はそのクリークの上に高速や道路が出来て改善されてきましたが、それでも満潮時
の大雨の時には下水から水が逆流する事もあります。これは0m地帯を多く持つマニラ
市の基本的な問題点です。

しかし、所詮は全て借り物。リトル東京も 紙卸問屋の中国系タン氏からの借家。
昔はこの地域を開発することは無かったのですが、時代は変わりこの地域にも高級
マンションが立ち並ぶ時代が来ました。こうした中で、此処3年で リトル東京のある
場所も再開発される可能性は大変大きくなってきました。
今 真剣にその移動場所を考えるときが来たのかも知れません。 しかし今度は日本
人の名の本当のリトル東京を作る時なのかもしれません。

A
反対側の入り口
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パッソンタモ通り側からの入り口